『Did Marco Polo go to China?(マルコ・ポーロは本当に中国へ行ったのか)』という本をご存じでしょうか?この夏、風水に関する書籍をいろいろと調べている中で、たまたまこの本の存在を知りました。日本では一般的に“東方見聞録”という名で知られている、マルコ自身の紀行史である(と言われている)その本に書かれている内容が、実際には“他人から聞いただけ”の情報、またはガイドブックから抜粋した情報に、色を付けて作られたものであるという可能性が高いということを指摘している本なんです。

この本の著者:フランシス・ウッド女史は、大英図書館中国部主任という中国史研究のエキスパート。ウッド女史が指摘している点は、『東方見聞録には、その当時に実在していた中国風俗のほとんどが紹介されていない』というところです。もし、マルコが本当に中国へ赴いていたのであれば(しかも東方見聞録には1275年から17年間に渡り滞在したと書かれている)、当時の中国人がどの様な風習を持っていたか、暮らしぶりや国(街)の様子など、当時の西洋文化と比べて明らかに異なっているものや突出した物事について、書かれているのが当然ではないか、という疑問を投げかけているのです。

本当に中国へ行ったの?

一例を挙げると、東方見聞録の中国について書かれたパートには、中国にある有名建築のひとつである万里の長城について記録が一切ありません。当時流行っていた纏足、まだ中国でしか知られていなかった印刷技術、中国語(漢字)、箸を使っての食事、中国茶や飲茶、儒教や道教についても触れていないのです。もちろん、この時代に中国に住んでいたのであれば、風水が全盛期を迎えた唐の時代(AD618‐907年)よりも後な訳なので、易経・八卦・中医学(養生学)・風水などの知識は、広く民衆に伝わっている状況です。陰陽五行論を始めとするそれら知識体系は、西洋人から見たら異質なもので、特異なものであったはず。なのに、マルコは一切触れていないのです。

ウッド女史は、様々な疑問点・矛盾点を元に、マルコが中国まで行ったことに否定的な見解を示し、『彼は黒海近辺から東へ行ったことはなく、そこで収集した情報を語っただけだ』と推測しています。また、マルコの地元であるイタリアの研究チームも、東方見聞録は様々な人々から伝え聞いた話を単にまとめたもので、実際には黒海より東に行ったことが無かったと主張しています。

文化大革命より前に中国に住んでいたのであれば、しかも政府要人や高官達との交流があったのであれば、風水の知識に触れずに過ごすことは、まず難しかったと思いますよね~?

全く接点のない事柄に思えますが、マルコ・ポーロの史実についての嘘(?)を発見するのにも、風水が関連してたりするのです。