私が“風水”というものに興味を持ったのは20代が終わる頃。たまたま名前を知った風水気学の先生の元へ通い始めたのが、私の風水歴の始まりです。当然ながらその当時は、本場の風水と、風水気学(九星気学および家相学)が別物ということは、全く知りませんでした。その後、もうひとりの風水の先生の元でも学びましたが、実はこちらの方も風水ではなく風水気学の実践者だと、後ほど気付いたのでした。
当時、私は外資系企業に勤めていたのですが、私が風水気学を学んでいることを知った台湾人の上司や香港人の同僚達に、『風水は知っているけど、キガクって何?そんなの知らないよ?』と言われたことがありました。ええっ?香港や台湾で生活の一部となっている“風水”と、私が学んできた“風水気学”は別物なの?
実は、風水気学とは、日本に伝わった“重要な箇所が欠けている風水”=八宅派風水をベースとし、その中の九星部分を抽出して古来より存在した家相学と組み合わせた、日本人が作り上げた日本独自のものだったのです。要は、日本以外の国々では、風水気学、気学というモノは存在していないのです。
かつての私同様、日本ではまだ多くの方が風水と気学、家相学は同じものだと思っていることと思います。
風水は中国で起こりました。自然や環境の中にあるエネルギー(気)を使いこなすという論理です。当時、大いなる繁栄をもたらしたその叡智は、宮廷や富裕層の限られた人々の間だけで利用されていました。
やがて一般市民の間にも、風水の教えを知りたいという欲求が大きくなってきました。また、日本や韓国などから、中国が繁栄した理由を学ぼうと使節団が送り込まれました。遣隋使や遣唐使などがそうです。
当時の中国王朝は、非常に影響力のある風水という論理が、みだりに広まることを恐れました。もし民衆が風水を利用して力を持ってしまったら、王朝の権力は危険にさらされるのでは?もし日本や韓国などの隣国が風水で力を得たら、中国王朝を滅ぼしに来るのでは?
そこで中国王朝は、風水の一番重要な知識を省いた偽の風水本を作りました。現在、『八宅派』と呼ばれる風水流派の源と言われているものです。中国の民衆や、日本や韓国などの隣国は、残念ながらこの偽の風水本を信じてしまいました。これは中国風水の歴史に於いて、有名な史実であります。
現在、本場の風水として国際的に使われている玄空飛星派風水(フライング・スター)は、秦王朝まで権力のトップにある人々、一部の者しか知ることの出来ない秘伝中の秘伝でした。王が逝去した際には、仕えていた風水師の命を奪い、秘伝を守るということが、何代にも渡り当然の事として行われて来ました。よって、玄空飛星派の教えは、現在に至るまでほとんど知られていなかったのです。
数ある風水の流派の中でも、玄空飛星派が一番正確であり優れていると言われる所以は、玄空飛星派のみ、“時間”が明確に判るということです。いつこの家は風水の恩恵を受けることができるのか?いつ貴方は利益を享受することが出来るのか?それはどのくらいの年月続くのか?時間はどのように貴方に影響を及ぼすのか?これらの事柄を、理論的に説明できるのは、玄空飛星派だけなのです。
“私が学んできたものは、一番重要なことが欠けている風水であった”-それに気付いた時が、私の“本物の風水”を学ぶ旅の始まりでした。
2007年、後の私の人生を変えることになる大きな出来事が沢山起こりました。生涯の伴侶との出会い。国際的な風水機関との遭遇。そして“本物の風水”を学ぶ機会を得ました。シンガポールを始め、世界各国に多くの風水仲間が出来ました。彼らは私にとって風水師の同僚である上、時に個人教授であり、またプライベートを家族ぐるみで過ごす親友でもあります。
正しい風水には必ず結果が伴います。その効果はとてもパワフルです。逆に、間違った使い方をした場合は、マイナスの影響も多大なものとなります。よって、風水を実践する際には、正しい風水師を選ぶことが大切となります。