かつて旧東ドイツ国内に位置していたベルリン市は、西ベルリンと東ベルリンに分けられていました(隔てていたのがベルリンの壁)。私自身、初めてベルリンに来た3年前までは正しく認識していなかったのですが、西ベルリンというのは、東ドイツ国内にポツンと孤立した状態で存在していた訳です。
1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年に共産国だった東ドイツが、資本国家の西ドイツに“編入”された形で、統一されたドイツとなり、国として首都をベルリンに定めた訳ですが、他の欧州の首都と比べると、なんだか“首都っぽくない”雰囲気は、何度訪れても感じます。具体的にどういうこと?と聞かれると、説明が難しいのですが、対極の立場にあるエネルギーを無理やりひとつにした名残り的な?これは現場で感じてもらうと納得してもらえると思うのですが…。
街の造りからして全然違います。今回訪れたミッテ地区は、東ベルリンの旧市街が残っている場所なので、不秩序に斜めに走る道が結構あったり(新市街はキレイな放射状または碁盤の目状に道路がなっている)。西ベルリンだったところでは、欧州各国に良く見られる、優雅な造りの大きな建物が連なって残されているのですが、東ベルリンだった地区には、四角い味気ない建物が多いので、どちら側だったのかは直ぐ判別できます。
ミッテには東ドイツ一般市民の住居だった集合住宅(団地)が多く残されています。観光地となっているハッケシェ・ヘーフェ(Hackesche Höfe)は小さなブティックやギャラリーがいろいろと入っていますが、建物自体は中庭を持つ団地の複合体で、複雑な迷路のようになっていました。
中庭で複雑に連結しているので本当に迷子気味となったところ、偶然見つけたのが何とも治安の悪そうな不気味な路地(後からシュヴァルツェンベルク:Haus Schwarzenbergと知る)。明るく可愛くリノベーションされたハッケシェ・ヘーフェと比べ、こちらは旧東ドイツの遺産そのままな感じ。薄暗い路地、朽ち果てた壁には無数の落書き、アンダーグラウンド臭ぷんぷんの小さなバーやクラブが集まっていました。一番奥にはユダヤ人に関する何らかのポスターも(これも後で判明したのですが、アンネ・フランク・センターだったそうです)。
今回の滞在では、東ドイツのエネルギー的遺産についての体験もいろいろありました。これは私的感想として後ほどまとめてみます。思想と環境というのは、人間を形成するのにとても大事なエネルギーだということを、ひしひしと感じました。
さて、ここから夫と私は何故か、『ベルリン中央駅まで歩いて行ってみる』という選択をしたのですが、これが大変だった!電車に乗ればたった2駅、地図を見てもそう難しくなさそうな道順なので、時間も余っているし、ビール飲んだし、ちょうど良いよね、と思ったんですよね~。それが、意外とベルリンは路地名のプレートが無いところも多く、真っ直ぐ歩いているはずが実は斜めに進んでいたりと、意外と地図が使えなかったというか。おまけに、ベルリンの1ブロックは、ロンドンなどの1ブロックと違い、果てしなく大きく広く、かなりの距離を歩かなくてはならならず。途中で方向感覚がマヒし、Google Mapの道案内に助けられました~。Google Mapはスバラシー、と心から感謝。こういう時に備え、海外でぶらぶら歩く予定の時は、レンタルWifiを借りて行くべきですね。
ホルプ、シュトゥットガルト、テュービンゲン、ベルリン、滞在中はほぼ毎日、何だかんだで1日10キロ以上は歩いていたと思います!初老の夫婦としては、結構な運動量です。そのお陰か、ガッツリなドイツ料理に朝晩ビールでも、滞在終盤にはふたりとも心なしかスリムになってきていました(笑)。さて、明日はとうとうポツダム入りです。つづく。