常識という言葉、日常で割と頻繁に使われる言葉のひとつかもしれません。この仕事を始めてから、年齢、性別、国籍、肩書、社会的立場、バックグラウンド・・・その他諸々、様々なタイプの方々とお会いしたり、接する機会に恵まれてきています。その中で一番学んだことは、『各々の人の持つ価値観は、各々が持つ異なる定規によって決められたものなので、それぞれ違っているため、正解はない』ということ。当たり前のような言葉に聞こえるかもしれませんが、要は、私が“普通”と思うことを、“普通”と思わない人もこの世には存在している、ということです。誰かにとっての“普通のこと”は、違う誰かにとっては“普通じゃない”こともあるということ。特に、クライアントさんとのセッション(或いは鑑定書の文面)では、その点をいつも意識するようにしています。自分でも注意していたことでしたが、まだまだ意識が足りなかったということが、明らかになった出来事がありました。

数年に渡り、風水にまつわる諸々を教えてきたお弟子さんのひとりが、実は『十二支を全部言えない』ということが、今頃になって判明!どうりで、十二支の五行がいつまで経っても覚えられないはずですよね~!日本人であれば、ねー・うし・とら・うー・たつ・みー・うま・ひつじ・・・と、ソラで言えるのが“当然”、それが“普通”であって、“常識”として知っているべきもの、という風に、私自身は思い込んでいたんですね~。

価値観は“一元ではない”

そのお弟子さんは私(やその他のお弟子さんたち)があまりにビックリしたことに、逆に驚いていた様で、『自分にとって特に覚えるべき事柄では無かったし、十二支が全部言えなくても別に困ることがなかったので・・・』と話していました。これまでの人生(おおよそ40年ちょっとの間)、日常生活を送る上で、別に支障が無かったこともあって、今に至る、ということでした。なるほど、『日常生活』というものも、よくよく考えたら曖昧な言葉ですね。人それぞれ、日常なるものは異なる訳ですもんね。

言葉に疑問を持った時は、辞書を引いてみると良い勉強になります。ということで、今回は“常識”を調べてみました。まずは王道の【広辞苑】から。

『普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む』

広辞苑を引くとビシっとした答えが出ることが多いのですが、これはかなり曖昧じゃないですか~?

次に、【三省堂:新明解国語辞典】を引いてみました。

『健全な社会人なら持っているはずの(ことが要求される)、ごく普通の知識・判断力』

これも、何をもって“健全な社会人”と言うのか、“ごく普通”というのも曖昧な感じがしなくもなく?

最後に、我が家にあるもうひとつ【ブリタニカ国際大百科事典】をチェック。

『一般に学問的知識とは異なり、普通人が社会生活を営むために持ち、また持つべき意見・行動様式の総体をいう。これは経験の集積からなることが多く、時代や場所や階層が異なれば通用しないものもあり、多分に相対的なものである。』

この3つの辞典の説明の中では、ブリタニカが一番的を得た説明でしょうか?時代や場所や階層が異なれば通用しないものもある、多分に相対的、この部分がポイント高い気がします(が、これも私自身の価値観によるものですね)。

誰かにとっての“常識”は、他の誰かにとっては“非常識”かもしれません。自分にとっての“普通”は、相手にとって“希少または奇抜または特別または異常(反対語辞典より)”である場合もあり得る、ということですね。と自分に言い聞かせ直したところです。